ヒプノセラピストblog愛(i)を持って
心(mind)に寄り添うことができますように

それが、あるから買えるという事実

2020/03/12

先日、娘を連れ、美容室へ

最近は自分で髪を洗っている娘…

自ら『長いので、切りたい』と言ってきた。

長いもんね。。。

おし!気の変わらないウチに行こう。

お金があるから

髪が切れるとか

お金があるから

美容室へ行ける

のも、事実。

そしてそのお金に対しての感謝も

もちろんある。

そして、もう一つの視点

髪を切ってくれる人がいる

美容室があるから

髪を切れるのも事実。

綺麗なお店で

日々、技術を磨いてくれる美容師さんがいる。

モノやサービスがあって、

そのモノやサービスを提供してくれる人の

おかげで

私はそのサービスを受けれるということ。

それらを行う人がいる

それらを作る人がいる

それらを提供する人がいる

おかげで

私はそれらを買えるし

それらを受けれるし

それらを使うことができる。

シンプルなんだけどお金だけではなくて

提供してもらえている事に

感謝できる。

誰の期待に応えたいのか?

2020/03/12

親の期待に答えなきゃ。

これを無意識に持っている人は

少なくない。

親の存在はやはり大きい。

少なからず、親を裏切る事はしたくない。

幼少期に

両親や身近な人に

期待されている感覚を持つ。

それは、言葉に出さなくても

周りからこうなってほしいと思われている

事に気づき

そして、それに答えなければいけない。

と思う自分がいる。

周りからこうなってほしいと思われている。

それに答えなければいけない。

は切り離していいのだけど、

そこをセットにしてしまうのだ。

私の場合は更に、

もしその要望に答えられなかったら

私はダメなんだ…もセットにしてる。

自分で言うのもなんだが

私は、きっといい子ちゃんだったんだと思う。

他人の要望に答えたくない!

とかでもなく、

私は他人の要望に答えなければいけない!

とかでもない。

他人の要望も私の要望も

聞いてみる。

そして、自分がどう感じているのか?

自分はどうしたいのか?

ちゃーんと見る。

そこに、他人の要望に答えないからと言って

ダメなのでもないし

自分の要望を是が非でも通さなければ

ダメなのでもない。

もちろん、頼まれたら

できる限りのことはしてあげたいなと思うのは

普通の感情なのではないか。

だから、そんな自然体の自分を感じた上で

私はどうしたいのかを聞いていく。

そもそも、期待とは何か。

期待とは他人が人に持つものなのか?

親は子に

先生は生徒に

上司が部下に

彼女が彼氏に…

その逆も然り。

期待と聞くと

つい他人にかけてしまうものと思ってしまう。

果たして、本当にそうだろうか?

それを決めているのは誰だろう?

私は期待を自分にかけたい。

自分の可能性にかけたい。

自分を信じたい。

さらに、その期待は重苦しいものではなく

こうだったらいいなドキドキと

ライトに置いておきたいな。

そう感じた。

母の一言から、本当の願いにたどり着く。

2020/03/12

母親と育児について意見が食い違うことがある。

子供には早寝早起きをさせる。

1日三食、栄養のあるものを食べる。

など 

そんな常識的な事を

母は言ってくる。

私もできれば、そうしたいなとも思う。

最近の母の口癖。

『〜しないと、大変な事になる』

それに、とても違和感を感じていた。

早く寝かせないと、大変なことになるよ!

と言われて、

この事について、ノートを書いてみた。

早寝早起きは確かに習慣にしたいけど、

1日や2日、遅く寝たからって

死ぬわけでもないのに

1日たりとも許さないなんて窮屈すぎる。

週末は色々子供に言いたくない。

それに自分の意見を押し付けようと
してくるところがイヤ!
一方的に感じる。

私には私の考えがあるのに。

大変なことって何?

そんな脅すようないい方してさ。

とつらつら、書いた。

母親は自分の意見だけを
押し付けてくると感じている。

私には自分の考えや感覚があるし
それを信じたい。

そして…

1番の願いがある。

脅すようないい方がイヤ。
だって、私は安心して暮らしたい!

そう、私は安心して暮らしたいんだ。

でも、母の『大変なことになる』の一言が

とても違和感になっていた。

冷静に、引きの視点で見れば

母は私を脅したいわけでもないし
心配して言ってきている事も
わかるんだけどね。

私は日常に安心を感じて暮らしたい事。

そして、自分の考えや感覚を信じたい事。

そんな願いをしっかりと感じた出来事でした。

不安を自覚し手放す事

2020/03/12

日常の中で、不安や恐れを感じることがある。

それは、もうクセとか習慣という不安である。

私たちは幼い頃から

『危ないからやめなさい』

『悪い人がいるから気をつけて』

などなど…

大人たちは、そう不安を煽ることで

危険から身を守る事や危機管理を

教えてくれている。

かく言う、私も子供に言ってしまう。

今なら、わかる。

それは、愛の一つの表現なんだと。

それは、安心で過ごしてほしいの願いが

奥にある願いだという事を知っているから。

でも、幼い私たちにとっては

それは恐れや恐怖の始まりであり

不安になることで、自分を守る事になるに

なるんだけれど、それをどこに使うか

どんな時にその危機管理能力を使うかは

人それぞれなんだと思う。

大人になった私はその恐怖や不安は

いろいろなところで発動する。

ここで、発動しなくてもいいよって場面でも

発動してしまう。

それは、習慣だからね。

私は不安を自ら取りに行っていると自覚する。

心配しすぎて

今のことに集中できないことがイヤなんだ。

自ら不安を取りにいっている事を

自覚する。

それは、幼い頃の教育かもしれないし

それは、ただのクセや習慣かもしれない。

ただ、それを自覚して手放すだけでいい。

その不安をよく見てみると

自分を守る事に繋がり

不安を感じる事で

今に集中したい。と言う

自分の本当の願いが出てくる。

それは、愛の一つなのかもしれない。

想像的思考 〜子供に伝えていきたいこと〜

2020/03/11

最近は少し早起きをして

娘と朝ワークをしています。 

早寝早起きをするのは

小学校に上がるため習慣づけを兼ねてです。

学校やワークでは、答えのある事

正解、正しい、答えが確実にあるものを

教えてくれる。

1+1=2のように確実に答えがあること。

理論的、分析的思考といってもいい。

そして、もう一つ私が伝えたい事がある。

それは、答えのないもの。

自分で自分の答えを出すこと。

これは、誰かに教えてもらうというより

自分で気づいていくもの。

自分が自分に問い、聞き、感じて、考える

自分が自分で答えを出すのだ。

必ずしもそれが

答えを出さなければいけない事なのか

それすらも自分に問う。

哲学的な話になるけど、

自分の言葉で、自分の意思で

自分の人生を創っていく。

そんな事を子供に伝えていきたいと感じている。